演劇フラヌリー 第5回 

仮面からジュネへ


 記録的に暑かった夏をどうにか乗り越え、日本中がぐったり疲れた体をいやしているようなお盆休みの、その最中、マルセイユから劇団ウバックが東京にやってきました。シアターΧが主催する国際舞台芸術祭2004「仮面と身体」に参加するためです。国内外から仮面劇を上演する団体が集まりました。(紹介記事は「フラン・パルレ」8月号を参照)。
一口に仮面劇といっても大きく2つのタイプに分かれます。第一は、仮面をつけた俳優が台詞を言いながら演じるものです。この場合、コンメディア・デラルテ(イタリア古典喜劇)にあるように、仮面は顔の上半分を覆う「半面」が用いられることが多いようです。しかし能のシテ方のように顔をすっぽり仮面で覆ったまま台詞を言うものもあります。第二は仮面をつけた俳優が無言劇を行うものです。これは東南アジアの伝統演劇によく見られるもので、基本的に顔全体を覆う仮面を用います。全体的に音楽によって主導され、演劇というよりもむしろ舞踊、祭儀としての要素が強くなります。この2つの中間形態として、仮面をつけた俳優とは別の誰か、あるいは「オフ」の声によって台詞が言われるものもあります。
ウバックの作品『ラ・バ—向こう側』は台詞を一切用いずに、仮面をつけた3人の俳優によって演じられる、身体の運動と音楽だけで作られた劇ですから第二のタイプに属します。しかし、これは舞踊でも祭儀でもありません。子供向け、と言ったら語弊があるのですが、小さい子供から大人まで楽しめる演劇なのです。マルセイユおよび近郊では、ウバックはテント公演を中心に、おもに小学生を対象とした巡回公演を行っているそうです。写真を見せてもらいましたが、日本の唐十郎さんの紅テントよりもさらに小ぶりの「青テント」でした。
『ラ・バ』の内容はしたがって、シンプルです。男女が出会う。恋をして結婚して、赤ちゃんが生まれる。いたずら盛りを経てその子が学校へ通うようになる。後半では男女はすっかりおじいちゃんとおばあちゃん。孫と遊ぶうちに、最後は死を暗示するように孤独になって劇は終わります。いわば、人生の縮図を見せるような、全体で45分の短いものです。
 これはパントマイムとも違います。俳優の演技はユーモラスな独特のリズムを持った動きで構成されています。
演出のフィリップ・モーリスさんが演劇教育を受けたパリのジャック・ルコック演劇学校では仮面を用いた俳優教育が早くから行われていました。フランス古典劇の上演に照準を合わせた、「台詞朗誦法」が俳優教育の中心を占めていた伝統に抗うように、ルコックは言葉を軽視するわけではないにしても、身体に言葉と同等、あるいはそれ以上の比重を置いた演技メソードを探求しました。ルコックの作ったエチュードのひとつに、人間の一生を数分間の身体表現で表せ、という有名な課題があります。特定の場面をマイムで演じるのではなく、誕生と死にはさまれた命のサイクルを身体のエネルギーや運動に還元して表現するのがねらいです。『ラ・バ』はこのエチュードの発展的な応用のようにも思えました。
ウバックがこの作品で使った仮面は、元はスイスのバルという村のカーニバルで使われるものを、ルコックが演劇教育に取り入れたものだということです。仮面をかぶると素顔の表情が消えます。素顔の場合とは比較にならないほど、身体の全体が意味を帯びてきます。仮面劇をやってみると、というか仮面をつけたそのとたん、個々の俳優の身体全体がどれほどの表現力を持っているのか、誰の目にも一瞬で暴かれてしまいます。仮面はそういう怖さを持っています。それゆえにルコックは仮面を積極的に俳優教育に取り入れたのでした。
 ところでそれは同時に、演劇を「心理主義」から訣別させることに通じています。なぜ演劇は心理主義ではいけない、という発想が出てくるのでしょう。心理主義的な演劇のなかでは、舞台の上に観客と等身大の市民的な主体が登場し、それが社会の中でまた人間関係において葛藤を経験します。ハッピーエンドで終わろうが、悲劇で終わろうが、いずれにせよそこには普遍的な人間性が、ポジあるいはネガとして投影されていることになります。その普遍性が問題なのです。
19世紀の末に西欧社会は帝国主義を拡大させていくプロセスのなかで、植民地という他者に出会います。それが「未開」ではなく、もうひとつの「文化」だと気づいたとき、心理演劇を成立させるためのヨーロピアン・ヒューマニズムが機能しない局面を見出したのです。作者・俳優・観客が均質的な文化を体現することが前提となっていなければ、そこに共通の心理的な要素ははたらきません。
もうひとつの要因は映画やテレビ、つまり映像芸術の発展です。心理主義を追求することにおいて、演劇は絶対に映画にかないません。なにしろ映画には必要に応じて顔をアップで映すことも可能なのです。したがって映画が芸術として確立することは、心理演劇の衰退を意味しました。この潮流を無視して心理主義の道をたどる方法は、演劇を映画・テレビスターが「生で見られる場」として延命させることです。日本の「新劇」は、見事なまでの観客の均質性にも支えられて、今日までそうして持ちこたえてきたのです。

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8月の末に文学座の自主企画公演で、中野志朗さんがジュネの『女中たち』を演出しました。『女中たち』は数年前までは毎年のようにさまざまな集団によって上演されていたのですが、この2〜3年では久しぶりです。
この作品もまた心理主義的な演劇に対する批判、あるいは挑発として書かれたものです。ジュネは、東洋の仮面劇に対してどれほど造詣が深かったかは分かりませんが、それを引き合いに出して、「役」を演じるというシステムが西欧演劇固有の原理であることを見抜いていました。表向きの普遍性を持つヨーロピアン・ヒューマニズムに対する激しい憎悪にあふれたジュネは、その「役」というシステムを撹乱しようとしたのでした。
『女中たち』にはたいしたドラマはありません。奥様と女中ごっこを演じる女中二人(しかも一方の女中がもう一人の女中を演じる、という二重のずらしがある。)が、旦那さまの悪事を密告したが失敗し、自殺しようとする話です。しかしながら、女中二人は「ごっこ」をしているのですから、最後の自殺(服毒)にしても、それが「現実」のレベルでのことなのか、それとも「ごっこ」のレベルでのことなのか分からないのです。ひょっとしたら奥様さえも、女中たちと「ごっこ」の共犯者なのかもしれないのです。ジュネは女中二人を男優によって演じるように指示しています。したがってこの男優は「①奥様を演じる女中を演じる者」と、「②もう一人の女中を演じる女中を演じる者」の二人となります。こんな重層的な演技の戯れを「役」として演じることは不可能です。しかも作品では、こうした「ごっこ」が破綻したり、復活したり、どちらか分からなくなったり、とその解体への意志はあくまで徹底しているのです。
ですから『女中たち』が今日演じられる場合、フランスでは人物に著しいデフォルメが施されることがしばしばです。もう人間とは思えないような不思議でグロテスクな表象を導入しないかぎり、上演に意味を見出せないのです。あるいは、日本では渡辺守章さんが演出したように、非リアルな身体の運動・造形に俳優を還元しながら、そのいっぽうで新派を意識した文体に基づいた虚構性の強い演技体を組み合わせて上演するのも、もちろん同じような問題意識からです。
そういう作品を、リアリズム劇を上演する手法のまま女優によって上演し、それでリアリズムから抜け出せる、などというつもりで舞台化されては、結果は火を見るより明らか。出演した俳優が、リアリズムとしての演技をうまくこなせばこなすほど、ますます『女中たち』の本質から遠ざかっていくことになるのです。新劇が心理主義から抜け出せるかどうか、という問題は、上演作品に何を取り上げるか、という問題ではまったくないのです。
舞台装置に関しても大きな疑問が残りました。双子の姉妹=女中のひとりソランジュが、作品の最後にバルコニーに出て、自らの犯罪者としての栄光を称揚するモノローグをするのですが、これは「鏡」の遊戯の世界から脱出しようとする運動として解釈されてきました。ところが今回の演出では、バルコニーに通じる窓を開けると、そこに鏡があって女中たちを映し出してしまうのです。これではソランジュの行動は、鏡の世界に逆戻りしてしまいます。そもそも女中たちは、金魚が水槽から出られないように、鏡の遊戯(=演技)の世界をエレメントとして生きているのです。ソランジュの行動を、そこからの脱出として理解しないかぎり、彼女が最後に服毒する理由も説明できないのです。彼女はエレメントから飛び出したのです。だから死ぬしかないのです。

佐藤康 ドラマトゥルグ