劇団ラ・タラスク アヴィニョン‐東京 演劇の架け橋


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 ギィ・フォワシィ・シアター(日本)の招聘により、アヴィニョンから劇団ラ・タラスクが来日し、ギィ・フォワシィ作『シカゴ・ブルース』を上演した。(2004年5月26〜30日、於シアターΧ。)双方の劇団がそれぞれの言語を用いて演じる舞台を、ふたつ抱き合わせで見られる公演であった。ラ・タラスクの芸術監督、クロディ・ルモニエが感想を語ってくれた

© T. Nakagawa
フラン・パルレ:あなたの劇団ラ・タラスクを紹介してください
クロディ・ルモニエ:劇団ラ・タラスクは1985年に結成されました。その当初は演劇学校だったのです。学校は今も続けていますが、結成とほぼ同じ年にプロの俳優が出演する公演も行うようになり、必要に応じて生徒がだんだんそれに加わるようになりました。アヴィニョンの常設劇団のひとつです。アヴィニョンには常設劇団が12ほどありますが、私たちの劇団は劇場を持っていて、いつもそこで活動をしています。そこが公演会場でもあれば、また稽古場です。エタンセル劇場というところです。

FP:どういう演劇に関心をお持ちですか? レパートリーはどのように構成するのですか?
CL:
私たちの場合、上演レパートリーは現代作品が中心です。現存する作家であるかどうかは問いませんが、現代作家のもの、つまり現代戯曲です。フランス革命200周年に1度だけマリヴォーの『奴隷の島』を取り上げたことがありますが、それは例外としても、イオネスコを何本か取り上げましたし、ほかにもグランベール、コピを上演しました。現代の、しかも社会性の強い作品を扱う傾向があります。私たちの生活のなかで起こることとつながりを持ったテーマがほとんどです。

FP:年間の公演数はどのくらいですか?
CL:
年間の新制作は多くありません。1年間かけて準備をして公演を迎えます。それをアヴィニョン演劇祭で上演します。それがやはり理想的な機会でしょう。それからこうしてフランスの都市や国外を巡演します。今挙げたレパートリーも過去の演劇祭で上演したものです。エタンセル劇場に他劇団を招いての公演もしますが、それほど頻繁には行いません。残念ながらアヴィニョンでは年間にわたっていつも観客に来てもらうわけには、なかなかいかないのです。

FP:アヴィニョン演劇祭への参加はいつからですか?
CL:
エタンセル劇場ができてからです。それまではもっと小さな場所を使っていました。1985年当時はラ・タラスク小劇場と名づけた狭いスペースで活動していたのです。そのスペースは今でもまだ残っていますが、4,5年経つとすぐ手狭になってしまったところへ、もっと大きな劇場が見つかったので、エタンセル劇場で活動を始めたのです。

FP:アヴィニョンを拠点にする劇団にとって、演劇祭には特別の意味があるのでしょうか?
CL:
もちろん、基本方針はそれです。公演を行うには理想的な場です。アヴィニョンに活動の場を持てるということはほんとうに幸せなことなのです。先ほどもお話したように、アヴィニョンは残念ながら、年間を通して演劇公演がたくさんある町ではありません。たまにポツポツと行われるだけです。しかし、いざ演劇祭となると、まるで鞭をひと振りしたように、ひとつの芝居に大勢が押し寄せてくるのです。芝居をするための一等席にいるようなものです。

FP:ギィ・フォワシィの『シカゴ・ブルース』を演目に選んだ理由は?
CL:
フォワシィの作品をいくつか読んだことがありましたし、『しくじりの技法』(訳注、フォワシィの短編劇集)のなかからいくつかを選んで演劇学校の教材にしたこともありましたから、フォワシィのことは知っていました。それに、私は今日の世の中で起こっていることをテーマにした作品を探していました。昨年上演したのはグランベールの『アトリエ』です。これは1940から50年代の戦争を題材にした作品です。そこで今度はほんとうに今起こっていることを取り上げてみたくなりました。そこへ、ル・ペンが率いる極右勢力が台頭するという事態が起こりました。こうしたすべてがきっかけになったのです。そういう姿勢でさまざまな作品を読み返していたところ、フォワシィの『シカゴ・ブルース』にめぐり合ったわけです。この作品はまさに今日に深く結びついたものに思われました。しかも面白いのは、この作品が80年代に書かれたことです。なのに、信じられないほど今日の状況にぴったりなのです。

FP:日本語とフランス語という二つのヴァージョンで演じられる今回の公演について、どんなご感想でしょう?
CL:
私たちは日本側の上演を見て、とても興味深く思いました。日本側の舞台に私たちとはまったく違うところがあるのをいろいろ発見して驚きましたし、それと同時にきわめて似たところがあるのをいろいろ発見して驚きました。お互いの舞台装置も、演出の方針もまったく異なるにもかかわらず、俳優の動きや視線、立ち位置が共通するところも多々ありました。なにより、私たちとはまったく異なった視点を見せてもらったのが面白かったです。たとえばアニェス役を演じた女優さんの演技を見て、私は自分でも少しかじったことがある歌舞伎を思い出しました。彼女にもそれを伝えると、彼女は歌舞伎を4年間、勉強したことがあるというのです。彼女の演技のなかに、歌舞伎の経験がなにほどか残っているのを見て、私は嬉しく思いました。私たちにはもちろん歌舞伎のような流派はありませんし、そういう俳優教育もありません。ですからそれは私たちの演技とは比べようがありません。私たちはひたすら俳優と作業をします。私は初めから俳優を枠にはめ過ぎないようにしています。俳優と一緒に考えていきます。私は俳優に、子供時代はどんなふうだったろうか、とか登場人物はどんなふうに暮らしているのだろうかと探求していくように要求します。いささか図式的に言えば、私たちの作業は日本で行われている演技にくらべて、アクターズ・スタジオで行われているアメリカ的な演劇作業に近いと言えるかもしれません。もっとも、私たちはフランス人ですし、私たちにも伝統演劇のような古典がありますからまったくその通りだとは言えませんが。

FP:日本の観客の反応はいかがですか?
CL:
日本の観客は少々おとなしい観客ですが、それは分かっています。フランスに比べて観客の反応は控えめです。けれども、それは観客が非常によく舞台に耳を傾けてくれるということなのです。それでも時々、観客が反応してくれたのが聞こえました。そして、芝居が終わってからの拍手を通して、そこには熱烈なものがあることが分かりました。俳優たちは舞台の上で、もっと観客に向かって訴えかけなくてはと思ったようでした。これも面白いことなのですが、そうするとかえって俳優はありのままの演技から外れていかざるをえません。

FP:日本の伝統、とりわけ宗教に深い関心をお持ちだとうかがいましたが。また、ヨガの瞑想法も演劇に取り入れていらっしゃるそうですね。
CL:
私は特定の宗教の信者ではありません。仏教徒でもありません。けれども私は東洋全般に対して非常に接近していました。演劇の教師、あるいは演出家になる以前、かなりの長期間にわたって私はヨガの実践を行ってきました。またそれを通して、禅とも出合いました。座禅もいくらか行いました。そういうことが私の仕事や人生に影響を与えているのでしょう。演劇のレッスンのなかにも呼吸法やリラクぜージョンに基づく訓練はありますし、瞑想というわけではありませんが、ヨガや禅からヒントを得た精神集中法は用いています。ヨガや禅は演劇のためにとても良い訓練だと思います。演劇というものは、外へと向かう営為です。しかも内から出発して外へ向かうのです。ですから東洋のそういうテクニックは、心の内に集中を見出して、自己を整えるのにたいへん助けになるのです。
(インタビューと翻訳 佐藤 康)

ギィ・フォワシィ・シアター: http://geocities.co.jp/hollywood-stage/1480


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