演劇フラヌリー 第9回 

オッフェンバック・ルネサンス


 いつもは日本の舞台にかかったフランス演劇を題材に筆を遊ばせているこの連載ですが、今回は趣向を変えて、フランスの舞台を取り上げてみたいと思います。とはいえ、日本でもDVDが発売されているオッフェンバックのオペレッタの話なので、皆さんもご覧になれる、ということでお許しいただくことにしましょう。ご紹介したいのはミンコフスキー指揮、ローラン・ペレー演出によるオッフェンバックです。すでに『地獄のオルフェ』(日本では『天国と地獄』とも呼ばれる作品です)、『美しきエレーヌ』の2作がDVDで発売されています。さらに本年のシーズンには第3弾の『ジェロルスタン女大公殿下』もパリのシャトレ劇場にかかっていますが、これは先般、私がフランスに赴いた際に見たいと思っていた矢先、偶然にもテレビで舞台中継されていたのでそれを見ました。前2作同様、こちらもそう遠からず、映像化されることと思われます。
 これらの公演はミンコフスキーの指揮する音楽も躍動感にあふれた素晴らしいもので、『地獄のオルフェ』は音楽CDで演奏を楽しむこともできますし、発売直後から早くもこの曲の録音の決定版としての評価を固めてしまうほどの秀盤となりました。歌手陣も実力派がそろっていて魅力的です。(オペレッタというジャンルを楽しく聞かせる歌手は日本にはそういるものではありません。エノケンは素晴らしかった!)しかし、音楽としての魅力もさりながら、やはりこのオッフェンバックは舞台演出や歌手の演劇的な演技に見るべき点が多々あるので、ぜひとも「見て」いただきたいと思っています。どれかひとつ、と言われれば『美しきエレーヌ』を私は挙げます。
 ペレー&ミンコフスキーの『地獄のオルフェ』が発表されて間もなく、これを「オッフェンバック・ルネサンス」と評する人々が出てきました。要するにオッフェンバックを蘇らせたということなのですが、少し説明が必要です。
 ヴェルディやプッチーニのような本格オペラに対して、オッフェンバックの歌劇は「オペレッタ」と呼ばれます。これは今日では「オペラ」に対する、もっと内容的に軽くて喜劇的な歌劇(軽歌劇)をさして用いられる言葉ですが、オッフェンバックの作品に対して使われる場合の意味としては、「まがいもの」、あるいは「茶化しの」オペラ、という意味が含まれています。つまり、時局風刺やパロディー満載の「お笑い」歌劇に近い要素がそこにはあります。オッフェンバックの作品が19世紀後半の、とりわけ第二帝政というパリのバブル期に爆発的な人気を博したのは、その時代の快楽主義を鼓舞すると同時に、そうした社会を戯画化する毒気を含んでいたからです。パリにやってきた「おのぼりさん」を揶揄した『パリ生活』は、万国博にやってきた外国人観光客の前で上演されて喝采を浴びたのです。ところが19世紀も終わりに近づくにつれて、いわゆる今日、私たちが「クラシック音楽」と呼ぶジャンルのレパートリーが整備されてきます。また、オッフェンバックも晩年の『ホフマン物語』のような、正統的なオペラの範疇に比較的なじみやすい作品を残して、クラシック音楽を飾る大作曲家の仲間入りをします。さらにオペレッタはヨハン・シュトラウスやレハールをはじめとしたウィーン風の甘い調べを奏でるようになっていきます。そういう経緯があってオッフェンバックの作品を含めてオペレッタは、ウィーン風の味付けに染まるとともに、本来の毒気を抜かれてしまうことになったのです。「オッフェンバック・ルネサンス」というのは本当は1935年、カール・クラウスが「オッフェンバック・ルネサンス」を著してオッフェンバックを再評価したことをふまえているのですが、それがふたたび今起こっているということなのでしょう。
 何年か前のことですが、さる本格的な歌劇場で有名な指揮者、アーノンクールが、正装した観客の前で『美しきエレーヌ』を上演したのを録画で見たことがあります。厳粛な顔をしたアーノンクールは、純粋クラシック、それこそベートーヴェンの交響曲でも演奏しているかのようにオッフェンバックを演奏していました。演出も、一生懸命に作品の遊戯性を出そうとしているのですが、やればやるほどグロテスク。いやらしい感じになってしまって、どうにも「グランド・オペラ」の発想から抜け出せていない舞台でした。この例などまさにミイラ取りがミイラになった典型です。オッフェンバックを評価したつもりが、結果的にはオッフェンバックの精神から最も遠い地点に作品を連れ出してしまったことになります。
 話を戻しましょう。ペレーの演出は一言で言えば、オッフェンバックのパロディー性を回復したと言えるでしょう。オッフェンバックの音楽が一瞬、唐突に劇的な和音を響かせることがあれば、それはベルディのオペラに対するパロディーなのであり、息もきれんばかりにソプラノが高音を引き伸ばすのも、ブラボー!と喝采されたいがためではなく、まずもって観客に笑ってもらうためなのです。果てしなく続く甘い愛の二重唱は、同時代のマイヤーベアーの退屈なメロディーのパロディーなのです。ですからペレーの演出では、今や彼のオッフェンバックには欠かせないソプラノ歌手、フェリシティー・ロットは、高音のアリアをこれみよがしに不自然に身もだえしながら歌うのですし、映像には収録されていませんが、私が実際にシャトレ劇場で見たときには、アリアを突然さえぎって、苦しそうに咳き込んだりするのです。『美しきエレーヌ』の第二幕では、エレーヌが不倫相手のパリスとベッドインする場面があります。二人が愛の二重唱を始めるや、おもむろに舞台袖から、着ぐるみの羊が何頭も続々と這って舞台に現れ、「これは夢でしかないわ!」と歌うエレーヌに合わせてついには二本足で立ち上がり、2頭ずつのペアになって踊りだすのです。
 言うまでもなく、そうしたパロディーが音楽の上でもそれとして響き、舞台上も異化されるためには、ペレーとミンコフスキーの作品理解が完全に一致している必要があります。この意味でも、音楽と舞台の緊密な関係をここに見ることができるのは貴重なことです。
 しかしながらオッフェンバックの風刺性というのは、単に音楽上の化粧を落とせば立ち表れてくるものではありません。なにしろ時代も社会もちがいます。登場人物のなかには当時の政治家や権力者(『エレーヌ』はナポレオン3世皇妃だ、という深読みもできる。)が次々に透けて見えるしくみになっているとも言われます。それは私たちには直に伝わりようがない位相のものです。ペレーの演出はここから戦略を必要とします。
 ペレーの『美しきエレーヌ』は原作にはない、中年夫婦の寝室から始まります。妻エレーヌ(美神ヘレネ)の求めにそっぽを向いてグーグー寝てしまう夫こそスパルタの王メネラウスです。このエレーヌが夢見るギリシアという枠組みのなかで、エレーヌと青年パリスとの不倫が始まる、という設定です。(ヨン様に群がるおばさま状況!?)そして、ギリシアは徹底的に「観光」の表象のなかで舞台に出現します。まず、スパルタの民衆はガイドさんに引率された現代風のヴァカンス客です。圧巻なのは第一幕の終わりです。パリスの策略で告げられたいい加減きわまりない神託にしたがって、メネラウスが旅に出る場面では、突如として旅客機のアテンダントが両袖から出てきて踊り始めます。スチュワーデスがミニ・スカートを捲り上げて踊る「フレンチ・カンカン」の見事な技術と表象のバカらしさ。そのギャップこそがこの演出の生命です。第二幕の装置はギリシアの遺跡発掘現場。第三幕は、俗っぽい売店や看板が立つリゾートの海岸です。
 これはただ時代を移し変えたという演出ではありません。ギリシアの神々はそれなりに神様らしい衣装をつけていますが、頭の上には清掃用のブラシをつけていたりして、かなり破天荒です。時代も神話もゴチャゴチャになった、キッチュな世界です。ペレー自身が語っているところによれば、整合性のある読解で作品を読み換える演出の時代はすでに終わった、ということですが、その真意をうかがう手がかりはこうした雑然としたナンセンスな表象にあるのでしょうか。
 全編を通して、ひたすら俗っぽい、腕を曲げたり伸ばしたりするだけの単純なしぐさが出現するのもこの演出を支える太いリズムを生み出しています。ダンスというよりは体操に近いのですが、これを鍛えられたダンサーが行うことによって、じつに奇妙な異化効果が出てくるのです。どこかで見覚えのある所作だと思ったら、これは志村けんが「バカ殿」でやっている「アイーン体操」そっくりです。『美しきエレーヌ』第3幕の冒頭、前舞台には突然、水着をつけたダンサーたちが登場します。準備体操をしたり日焼け止めクリームを塗って、何ともアホらしい「水泳のダンス」が始まります。クロール、平泳ぎ、果ては「犬掻き」まで、そのダンスの文法を排除した非芸術的なしぐさがアクロバティックな身体によって担われるのを見ていると、この演出がオッフェンバックを口実にして、ダンスの身体そのものを戯画化していることに気づきます。このスタイルは最新作の『ジェロルスタン』ではさらに洗練されていて、古典的な社交ダンスの場面では、ダンサーが円柱にぶつかって倒れたり、足を絡ませたりします。
 バカバカしいながらも実に洗練されている。今後もペレーのオッフェンバックからは目が離せません。

2005年2月
佐藤 康(ドラマトゥルグ)